私とPT
2019年9月17日 Magic: The Gathering コメント (4)マジックをはじめて3年が経とうとしている。
きっかけは高校生の頃、塾の親友がしきりに誘うのを見てなんとなく気にはなっていた程度のありふれたこと。
当時の私は高校3年生。医学部の中でもそれなりに難易度の高いところに進学したかった私は受験勉強の真っ最中だった。とはいえカードゲームは大好物。TCGの元祖とも言えるマジックの存在は前々から知っており、舶来品のようなその大人っぽさに一種の憧れを感じていた。
だからだろう。私は元日に参考書を片手にマジックの福袋を注文した。届いて開けてみて一人で未知の世界に興奮していた。
やがてその中から60枚でデッキを組み大会に出たいと考えるようになった。
幸い受験は受けた中で一番行きたいところへ行くところが出来た。最後の私立校の受験に向かう私のバッグには筆記具と受験表と、それからピカピカのスタンダードのデッキ、ティムール打撃体が入っていた。
イゼ速の記事で紹介されていた組み立てのカッコいいデッキを携え、その帰りの足で私は晴れる屋へ行った。
初めて自分で組んだデッキで大会に出た。晴れる屋TCは今まで見た中で一番広いショップで、正直面食らった。平日なのにこんな広いスペースいっぱいに会社帰りのプレイヤーたちがマジックをしている!
そのあと私はマジックにのめり込んでいった。大会は全く勝てなかったが。
そして進学の際もう一つデッキを組むことを決めていて、それはモダンのマーフォークだった。
友達に貸してもらって初めてマジックをプレイしたデッキだ。貸してもらって直ぐにカッコいい部族が並んで強くなって高打点を叩き出す姿にシビれた。イラストも戦略も最高だった。カラーも大好きな青で、カウンターをしながら殴れる姿に一目惚れした。
マーフォークは長く使えるけど強くはないよ、と友人は言った。しかしこの部族の強さを私は確信していた。
大学に入ってからは本当に忙しかった。辛いことも多い中、励ましてくれたのはマジックでありマーフォークだった。大会に出れない期間もいつも机には魚たちが出番を待つようにスリーブに入っていた。
マーフォークマスターNikachuの動画は何度も見ていたし、彼が準優勝したGPバンクーバーの試合動画は反芻出来るほど再生した。
競技マジックに出るようになったのは初めてのGPがきっかけだ。こんなに広い会場で2000人もの人がマジックをするのか!
その感動を生で味わいたくてずっと出続けていた。戦績なんて考えなかった。常に最終卓にいながら、ずっとニコニコしていた。
認識が変わったのは2018年に入ってgp千葉目前の頃、Gさんとの出会いだ。
Gさんは根っからの競技勢だった。イベントを通じて知り合ったのだが、毎週PPTQやWPNプレミアムトーナメントに欠かさず出ていた。私はGさんの豪胆かつ面倒見のいい性格から兄のように慕うようになっていった。
彼と私、そして数名のメンバーを従え、望んだGP千葉。私は普通のプールでノーByeから4-4という極めて中庸な成績を残した。Gさんはかなりいいプールで2Byeから4-0したが、そこから1-3して5-3という結果に終わった。
最後に負けて悲願のGP2日目を果たせなかった時、しかし彼は落ち込んでいなかった。試合が終わるや否やスタンダードの練習を会場内ではじめた。
私は何が彼を動かすのか分からなかった。当時彼はPPTQに数十回は出ていたが、ただの一度も抜けたことがなかった。GP2日目も行ったことがない。地方遠征も勝ち越しできるかどうかで終わっていた。年内PWPは日本有数だが、一般に言われる強いプレイヤーではなかった。恐らくあの頃のGさんは日本で一番リターン効率が悪かっただろう。
2018年末のGP京都、私は練習したのにも関わらず散々な結果だった。併設のFinals予選も派手に負け、ホテル内で競技マジックをやめようかと考えていた。その時の私には競技で遊ぶ楽しみより負ける悔しさの方が上回っていたのだろう。そんな私に彼は言った。「打席に立ち続けろ。」、と。「諦めないことは難しい。人々は才能だったり金銭だったり、外的要因によって夢を半ば諦めさせられているんだ。諦めなければ夢は叶うなんて綺麗事だ。でも、お前は違う。まだ打席に立てる。夢を叶えられる。落ち込んでもいい。また立ち上がれれば。」京都駅外れのホテルで私は一しきり泣いた。
その日は彼が初めてGP2日目に進出した日でもあった。
それからも彼は打席に立ち続けた。Finals予選を突破し、なんと本戦で6-2の10位入賞を成し遂げた。2019年に入ってからは草の根大会でTop8に安定して入るようになったし、マジックの腕前も見て分かるほどに上達していった。
そしてホームランは急に訪れた。盛岡で行われたMCQに彼はPWP稼ぎと観光を兼ねて一人遠征した。そこで彼は負けなしで突破してMCの権利を獲得したのだ。
チームや周りが驚く中、私は意外なほど冷静だった。彼はその甘い球を逃さなかったのだろう。沢山の三振とゴロを経て彼は綺麗なアーチを叩きこんで夢の舞台への切符を手に入れた。それだけのことだ。
競技マジックは悲しいほど残酷な運のゲームだ。Winner-Take-Allの大会では勝ちきれなければいけない。沢山の犠牲を払って何年もプレイし続けても夢を叶えられない人は大勢いる。いつ掴めるか分からないチャンスを待ちながらリソースを割き続けて時を待つしかない。
だからこそ目の前にしたチャンスは全力で掴まなければいけない。ミスをして掴みそこねないように努力し続けるしかないのだ。彼はまさにそれを続けてきたのだった。
MCで彼は8-8という結果だった。2日目に進出したのだ。モダンでの彼の愛機ホロウワンを使って、彼は夢の舞台に確かに足跡を残した。
そして彼をずっと見ていたからこそ、私はそこに行きたいと思うようになった。何年かかっても。プロツアーが私の夢になった。プレイヤーズツアーに名前を変えてもそれは変わらなかった。
それから私は打席に立ち続けた。忙しい中ドラフトを徹底的に練習し自力をあげた。下環境は大好きなマーフォーク一本に絞り調整を怠らず、スタンダードのメタゲームチェックも常にしていた。準備をした上で遠征を続けた。
途中で様々な師匠に巡り合えた。特にマーフォークに関してはモダンレガシー共に様々なプレイヤーが私に惜しみなくテクニックを教えてくれた。成長できた理由の多くは彼らのおかげである。
驚くべきことにマーフォークはモダンでもレガシーでも常に好成績だった。周りが強くない、他のデッキを使えと言うたびに、否定できるだけの確かな自信があったし知識や経験も積んでいった。私は幸運で、何よりマーフォークが大好きだったから競技に対するモチベーションが尽きなかった。負けても吸収して次へ向かうだけの余裕があった。それも競技において重要なことだと思う。
その結果スタンダードやリミテッドも含めほぼ全ての競技トーナメントで勝ち越し〜賞品ラインにいれるようになっていた。
もちろんとも言うべきか、勝てるようになってからも勝ちきれない期間は続いた。GP2日目に行くバブルを3回やって3回負けた。WPNプレミアムトーナメントのバブルも何回もやったが1回たりとも勝てなかった。チーム内でもバブル勝率0%とからかわれるほどだった。それでも諦めなかった。
そういう訳で9/14のレガシーMOPTQもレガシーマーフォークの調整を兼ねて参加した。
初戦負けから全勝してスイスラウンドを抜け、ストームの強豪プレイヤーCyrusCGと迎えた決勝3ゲーム目。先手チャリスFoW銀エラペテン師バイアル土地土地。息を飲むようにキープし、チャリスをx=0で置きバイアルをプレイ。途中でFoWをハンデスされながら、ロードを引き全て並べ返しで勝てる盤面でターンを渡すところまでいった。私のターンのエンドに衰微でチャリスが割られた。無防備になった私に対して、相手はかなり長考ののち、メインで思考囲いターゲットユー。私はペテン師を出し、後引きバイアルを捨てた。ライフは残り3。土地はトロピだけ。そこから青マナをだして渦巻く知識。1分間の静寂を経て彼が次に取った行動はチャット欄にggsと書き込むことだった。
私はプレイヤーズツアーの権利を得た。試合が終わってからごうさんに挨拶に行き祝われても全く実感は湧かなかった。追いつかれちゃったな、などと言われても全然そんな気はしなかった。
家に帰って連休最終日の夜。mtgo運営から届いたメールに一言書き添えてあったGood luck at the PT!という文ではじめて、私は夢の舞台への切符を手に入れたことを知った。
PTという略称は奇しくもプロツアーのそれと同じだ。PTカラデシュのヤソのグリコン。PTドミナリアの絶対絶命の状況の赤単がトップデックした栄光をもたらすもの。憧れのドラマが繰り広げられた舞台に行けることを認識しようやく感情が爆発して、一人で泣いた。
マジックをはじめてもう3年が経つ。
高校生だった私ももう成人して医大生3年目、勉強を続けながら中学から続けていた剣道で部の主将をおおせつかるまでになっている。秋には四段審査も控えているだろう。
友人に貸してもらって一目惚れしたマーフォークはもう私のデッキとして手元にあるし(愛が高じてフルfoilになりました)、モダンレガシー両方リストを残してきた。
私が毎日見てデッキを組む参考にしていたイゼ速にもPTQ優勝デッキとして私のデッキが載るだろう。レガシーでマーフォークかよー、なんてコメントで書かれながら、ほんの一人でもこのデッキをカッコいいし組みたい!と思って貰えたらなあと祈るばかりだ。
あれだけ広いと思っていた晴れる屋にも今では毎週のように通いながら、人多くて狭いなーなんて愚痴っている(笑)。
憧れだったマーフォークプレイヤーもいつしか情報を共有しあう仲間になった。私の優勝が刺激になるといいな。
何よりGさんとは切磋琢磨し合うライバルになった。私の方が先に来年最初のPTの権利を獲得したけど、まだまだ予選は始まったばかり。夢の舞台で待ってるぜ。
あれから色んなことが変わった。
それでも3年前のあの頃と変わらず私のマジックも、マーフォークも、仲間も、全部最高だ。
そしてあの頃と変わらずまだ見ぬ世界が広がっている。
そのまだ見ぬ世界の一つ、私が放ったホームランが不器用なアーチを描きながら吸い込まれていったその先、夢に見たPTに私は行く。
ありがとう。そして、これからもよろしく。
えむたろう
きっかけは高校生の頃、塾の親友がしきりに誘うのを見てなんとなく気にはなっていた程度のありふれたこと。
当時の私は高校3年生。医学部の中でもそれなりに難易度の高いところに進学したかった私は受験勉強の真っ最中だった。とはいえカードゲームは大好物。TCGの元祖とも言えるマジックの存在は前々から知っており、舶来品のようなその大人っぽさに一種の憧れを感じていた。
だからだろう。私は元日に参考書を片手にマジックの福袋を注文した。届いて開けてみて一人で未知の世界に興奮していた。
やがてその中から60枚でデッキを組み大会に出たいと考えるようになった。
幸い受験は受けた中で一番行きたいところへ行くところが出来た。最後の私立校の受験に向かう私のバッグには筆記具と受験表と、それからピカピカのスタンダードのデッキ、ティムール打撃体が入っていた。
イゼ速の記事で紹介されていた組み立てのカッコいいデッキを携え、その帰りの足で私は晴れる屋へ行った。
初めて自分で組んだデッキで大会に出た。晴れる屋TCは今まで見た中で一番広いショップで、正直面食らった。平日なのにこんな広いスペースいっぱいに会社帰りのプレイヤーたちがマジックをしている!
そのあと私はマジックにのめり込んでいった。大会は全く勝てなかったが。
そして進学の際もう一つデッキを組むことを決めていて、それはモダンのマーフォークだった。
友達に貸してもらって初めてマジックをプレイしたデッキだ。貸してもらって直ぐにカッコいい部族が並んで強くなって高打点を叩き出す姿にシビれた。イラストも戦略も最高だった。カラーも大好きな青で、カウンターをしながら殴れる姿に一目惚れした。
マーフォークは長く使えるけど強くはないよ、と友人は言った。しかしこの部族の強さを私は確信していた。
大学に入ってからは本当に忙しかった。辛いことも多い中、励ましてくれたのはマジックでありマーフォークだった。大会に出れない期間もいつも机には魚たちが出番を待つようにスリーブに入っていた。
マーフォークマスターNikachuの動画は何度も見ていたし、彼が準優勝したGPバンクーバーの試合動画は反芻出来るほど再生した。
競技マジックに出るようになったのは初めてのGPがきっかけだ。こんなに広い会場で2000人もの人がマジックをするのか!
その感動を生で味わいたくてずっと出続けていた。戦績なんて考えなかった。常に最終卓にいながら、ずっとニコニコしていた。
認識が変わったのは2018年に入ってgp千葉目前の頃、Gさんとの出会いだ。
Gさんは根っからの競技勢だった。イベントを通じて知り合ったのだが、毎週PPTQやWPNプレミアムトーナメントに欠かさず出ていた。私はGさんの豪胆かつ面倒見のいい性格から兄のように慕うようになっていった。
彼と私、そして数名のメンバーを従え、望んだGP千葉。私は普通のプールでノーByeから4-4という極めて中庸な成績を残した。Gさんはかなりいいプールで2Byeから4-0したが、そこから1-3して5-3という結果に終わった。
最後に負けて悲願のGP2日目を果たせなかった時、しかし彼は落ち込んでいなかった。試合が終わるや否やスタンダードの練習を会場内ではじめた。
私は何が彼を動かすのか分からなかった。当時彼はPPTQに数十回は出ていたが、ただの一度も抜けたことがなかった。GP2日目も行ったことがない。地方遠征も勝ち越しできるかどうかで終わっていた。年内PWPは日本有数だが、一般に言われる強いプレイヤーではなかった。恐らくあの頃のGさんは日本で一番リターン効率が悪かっただろう。
2018年末のGP京都、私は練習したのにも関わらず散々な結果だった。併設のFinals予選も派手に負け、ホテル内で競技マジックをやめようかと考えていた。その時の私には競技で遊ぶ楽しみより負ける悔しさの方が上回っていたのだろう。そんな私に彼は言った。「打席に立ち続けろ。」、と。「諦めないことは難しい。人々は才能だったり金銭だったり、外的要因によって夢を半ば諦めさせられているんだ。諦めなければ夢は叶うなんて綺麗事だ。でも、お前は違う。まだ打席に立てる。夢を叶えられる。落ち込んでもいい。また立ち上がれれば。」京都駅外れのホテルで私は一しきり泣いた。
その日は彼が初めてGP2日目に進出した日でもあった。
それからも彼は打席に立ち続けた。Finals予選を突破し、なんと本戦で6-2の10位入賞を成し遂げた。2019年に入ってからは草の根大会でTop8に安定して入るようになったし、マジックの腕前も見て分かるほどに上達していった。
そしてホームランは急に訪れた。盛岡で行われたMCQに彼はPWP稼ぎと観光を兼ねて一人遠征した。そこで彼は負けなしで突破してMCの権利を獲得したのだ。
チームや周りが驚く中、私は意外なほど冷静だった。彼はその甘い球を逃さなかったのだろう。沢山の三振とゴロを経て彼は綺麗なアーチを叩きこんで夢の舞台への切符を手に入れた。それだけのことだ。
競技マジックは悲しいほど残酷な運のゲームだ。Winner-Take-Allの大会では勝ちきれなければいけない。沢山の犠牲を払って何年もプレイし続けても夢を叶えられない人は大勢いる。いつ掴めるか分からないチャンスを待ちながらリソースを割き続けて時を待つしかない。
だからこそ目の前にしたチャンスは全力で掴まなければいけない。ミスをして掴みそこねないように努力し続けるしかないのだ。彼はまさにそれを続けてきたのだった。
MCで彼は8-8という結果だった。2日目に進出したのだ。モダンでの彼の愛機ホロウワンを使って、彼は夢の舞台に確かに足跡を残した。
そして彼をずっと見ていたからこそ、私はそこに行きたいと思うようになった。何年かかっても。プロツアーが私の夢になった。プレイヤーズツアーに名前を変えてもそれは変わらなかった。
それから私は打席に立ち続けた。忙しい中ドラフトを徹底的に練習し自力をあげた。下環境は大好きなマーフォーク一本に絞り調整を怠らず、スタンダードのメタゲームチェックも常にしていた。準備をした上で遠征を続けた。
途中で様々な師匠に巡り合えた。特にマーフォークに関してはモダンレガシー共に様々なプレイヤーが私に惜しみなくテクニックを教えてくれた。成長できた理由の多くは彼らのおかげである。
驚くべきことにマーフォークはモダンでもレガシーでも常に好成績だった。周りが強くない、他のデッキを使えと言うたびに、否定できるだけの確かな自信があったし知識や経験も積んでいった。私は幸運で、何よりマーフォークが大好きだったから競技に対するモチベーションが尽きなかった。負けても吸収して次へ向かうだけの余裕があった。それも競技において重要なことだと思う。
その結果スタンダードやリミテッドも含めほぼ全ての競技トーナメントで勝ち越し〜賞品ラインにいれるようになっていた。
もちろんとも言うべきか、勝てるようになってからも勝ちきれない期間は続いた。GP2日目に行くバブルを3回やって3回負けた。WPNプレミアムトーナメントのバブルも何回もやったが1回たりとも勝てなかった。チーム内でもバブル勝率0%とからかわれるほどだった。それでも諦めなかった。
そういう訳で9/14のレガシーMOPTQもレガシーマーフォークの調整を兼ねて参加した。
初戦負けから全勝してスイスラウンドを抜け、ストームの強豪プレイヤーCyrusCGと迎えた決勝3ゲーム目。先手チャリスFoW銀エラペテン師バイアル土地土地。息を飲むようにキープし、チャリスをx=0で置きバイアルをプレイ。途中でFoWをハンデスされながら、ロードを引き全て並べ返しで勝てる盤面でターンを渡すところまでいった。私のターンのエンドに衰微でチャリスが割られた。無防備になった私に対して、相手はかなり長考ののち、メインで思考囲いターゲットユー。私はペテン師を出し、後引きバイアルを捨てた。ライフは残り3。土地はトロピだけ。そこから青マナをだして渦巻く知識。1分間の静寂を経て彼が次に取った行動はチャット欄にggsと書き込むことだった。
私はプレイヤーズツアーの権利を得た。試合が終わってからごうさんに挨拶に行き祝われても全く実感は湧かなかった。追いつかれちゃったな、などと言われても全然そんな気はしなかった。
家に帰って連休最終日の夜。mtgo運営から届いたメールに一言書き添えてあったGood luck at the PT!という文ではじめて、私は夢の舞台への切符を手に入れたことを知った。
PTという略称は奇しくもプロツアーのそれと同じだ。PTカラデシュのヤソのグリコン。PTドミナリアの絶対絶命の状況の赤単がトップデックした栄光をもたらすもの。憧れのドラマが繰り広げられた舞台に行けることを認識しようやく感情が爆発して、一人で泣いた。
マジックをはじめてもう3年が経つ。
高校生だった私ももう成人して医大生3年目、勉強を続けながら中学から続けていた剣道で部の主将をおおせつかるまでになっている。秋には四段審査も控えているだろう。
友人に貸してもらって一目惚れしたマーフォークはもう私のデッキとして手元にあるし(愛が高じてフルfoilになりました)、モダンレガシー両方リストを残してきた。
私が毎日見てデッキを組む参考にしていたイゼ速にもPTQ優勝デッキとして私のデッキが載るだろう。レガシーでマーフォークかよー、なんてコメントで書かれながら、ほんの一人でもこのデッキをカッコいいし組みたい!と思って貰えたらなあと祈るばかりだ。
あれだけ広いと思っていた晴れる屋にも今では毎週のように通いながら、人多くて狭いなーなんて愚痴っている(笑)。
憧れだったマーフォークプレイヤーもいつしか情報を共有しあう仲間になった。私の優勝が刺激になるといいな。
何よりGさんとは切磋琢磨し合うライバルになった。私の方が先に来年最初のPTの権利を獲得したけど、まだまだ予選は始まったばかり。夢の舞台で待ってるぜ。
あれから色んなことが変わった。
それでも3年前のあの頃と変わらず私のマジックも、マーフォークも、仲間も、全部最高だ。
そしてあの頃と変わらずまだ見ぬ世界が広がっている。
そのまだ見ぬ世界の一つ、私が放ったホームランが不器用なアーチを描きながら吸い込まれていったその先、夢に見たPTに私は行く。
ありがとう。そして、これからもよろしく。
えむたろう
コメント
私も打席に立ち続けるべく、努力し続けようと思います。
PTでのご活躍を祈念致します。
おめでとうございます!健闘を祈っています。
記事メチャクチャ感動しました。知人にも読んでもらいたくてライングループに流しました。
本当におめでとうございます、PTでの活躍を期待しています!